萩焼の歴史
History
萩焼の歴史
慶長9年 | 李勺光 、李敬の兄弟により毛利藩の御用窯として萩焼きが起こる |
寛永2年 | 李敬、秀就より高麗左衛門の名を賜る |
承応2年 | 李勺光の門弟、蔵崎五郎左衛門らが長門深川に移住 山村平四郎光俊、深川三之瀬に屋敷を賜る(深川焼の起こり) |
宝永6年 | 坂窯より東大寺に萩大仏茶碗を献納する |
享保2年 | 大道土をこの頃より専用するようになる |
天明6年 | 坂倉万助、赤川喜右衛門両名が御蔵元支配の細工人を命ぜられる 以後板倉家は藩の御用細工人として大任を果たす |
文化12年 | 松本焼濃茶茶碗の模倣焼物細工を禁じ、大道の陶土の私用を禁止する |
大正11年 | この頃より高島北海、松林桂月等の郷土出身の有名画家が萩焼きに絵付けを施し、萩焼の振興に尽力した |
昭和24年 | 坂倉新兵衛(13代)が発起して萩美術協会を結成する |
昭和47年 | 坂田泥華(14代)、三輪休雪(11代)、坂倉新兵衛(14代)が山口無形文化萩焼保持者の指定を受ける |
昭和58年 | 三輪休雪(11代)、重要無形文化財萩焼技術保持者の認定を受ける |
平成14年 | 1月に経済産業省指定文化財の指定を受ける |